20日間で9カ国をバックパックで回ってみた(第五回:ポーランド編)

ホロコースト

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新年の抱負とポーランドへ行きたかった理由

こんにちはchiiです!
みなさん、明けましておめでとうございます!
文章を書くのが好きだったのですが、忙しくて中々パソコンを開くところまでいけませんでした…。
気がついたら年が明けてた…なんてちょっとしょぼんとしてしまいました…。
いや!ここから頑張って、とりあえず10記事は書き抜きたい!
さて、最近はますます冷え込む日が続きますね!
(風邪を引いてしまいそうです笑)
みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?
新年の抱負などは決まりましたでしょうか?
私の直近の目標は言わずもがなとにかく、、、、!(10記事!!!)
さて、『20日間で9カ国をバックパックで回ってみた』も第五回目に突入です!
トータルで10回を想定しているのでそろそろ折り返しですね╰(*´︶`*)╯
年を越してしまったけど、ここから頑張ります!
今回はポーランド、オフィシエンチム(アウシュビッツ収容所・ビルケナウ収容所)への旅行の記録です。
今回の旅は前回の記事の最後でお伝えした様に、この場所の特性上、また私が行きたかった理由上、少し暗いテーマになっています(すみません…泣)
ただ、私個人としてはヨーロッパで勉強、生活する上ではとても大切な経験であると思っているので、今回はこの様な形で記録として残すことにしました。
いつもの日程や旅行の詳細に加えて、「きっかけ」と「伝えたいこと」という場を設け、私がその様に考える背景を少しでも伝えられたらとも思っています。
ヨーロッパの文化や歴史を知る際、みなさんの助けに少しでもなれたら嬉しいです!

きっかけ(ホロコーストとアウシュビッツ収容所の関係)

まず始めにホロコーストとは、ナチスドイツが第二次世界大戦中に行ったユダヤ人を始め、多くの人々を殺害した大量虐殺のことを主に指す言葉です。
初めてホロコーストに興味を持ったのは、中学2年生の時。人生で初めて訪れた海外の国、ドイツでの経験でした。
この時、私はドイツの人々がホロコーストに向き合う姿勢を知り、この歴史的な出来事が起きた背景についてより深く知りたいと考えました。(これに関してはいつか他の記事でまとめてお話できればと思います)
加えてその時からずっと心の片隅で「いつか大学で機会があればホロコーストを体系的に学びたい、その現象はなんだったのか知りたい」と考えてきました。
すると留学中に、偶然学問としてホロコーストを学ぶ機会に恵まれました。ホロコーストに関する授業が留学先のLund大学で開催されていたのです。
そこで半年かけてホロコーストの起源から現在の状況までを学び、その中でホロコーストの中でも象徴とされる場所、アウシュビッツ強制収容所に行ってみたいと考える様になりました。
これが私が旅行先の一つとして、ポーランドを選択した理由です。
また、豆知識として現在アウシュビッツ収容所が存在しているその土地には、元々ポーランド語で「オフィシエンチム」という地名がついていました。
アウシュビッツはナチスドイツがポーランドを占領した際に、その地名をドイツ語の発音、表記に改名してしまったことに由来しています。
そのため、この記事ではオフィシエンチムという地名も載せています。

伝えたいこと

ホロコーストはヨーロッパの中で重要な歴史の一つです。
現在のEUや、現在に至るまで築かれてきた協調路線はこの負の歴史が元になっている部分もあります。
(民族、文化が異なることによって生まれた偏見や差別をなくすことから)
それ故に、ホロコースト はヨーロッパで留学・勉強するなら、少しでも知っておいた方が良い教養でもあります。(戦時中の話では欠かせない出来事ですし、しばしば話題になることも…。)
そのため、研究するとまではいかなくとも、その歴史が存在したことを認識する必要性は必ずあると感じています。
日本ではマイナーな知識・歴史ではありますが、この記事を通して少しでも興味を持ってくれる人が増えると嬉しいですね。

訪れた国と大まかな日程

 滞在先:ポーランド、オフィシエンチム
 滞在期間:6/8-6/9

1日目(ハンガリーからポーランドへ夜行バスで移動→オフィシエンチムへ)

今回の旅は、ハンガリーからポーランドへ向かうバスに乗るところから始まります!
夜中の11時から出発して、翌日の朝7時前にポーランドへ到着するという、この旅の中でも一番過酷なスケジュールでした笑
移動で使用したのは、前回の記事でもお伝えした様に、ポルスキィバス(Polski bus)です!
バスの中は夜中にもかかわらず、ほとんどの座席は埋まっていました。
座席は後ろに倒せなかったので、座った体勢のまま眠ることに…。
(翌日、バスの中でバッキバキになった体と共に目を覚ましました笑)

夜のブダペスト

朝起きると、バスはポーランドのクラクフ中央駅へ到着していました。
そこからさらにバスを乗り換えて、オフィシエンチム(アウシュビッツ)へ向かいます。
私たちはバスターミナルの一階で、時刻表を確認しながらチケットを買いました。
クラクフからオフィシエンチムまでの所要時間は、バスで1時間半から2時間ほど。
その間は終始爆睡しておりましたが…笑
そうこうしているうちに、9時過ぎにはオフィシエンチムへ到着。
私たちは事前の団体ツアーに申し込まず、自力で来たので現地の窓口でアウシュビッツ内の見学ツアーに申し込みました!
ちょうど2人分のキャンセルが出たので、運よく入ることができました。
ただし、来た当初に長蛇の列ができていたので、スムーズに入るためには予め予約されることをお勧めします!
ツアーに申し込むと、下の写真の様なイヤホンを貸してもらえます。
こちらのイヤホンからガイドさんの声を聞くことができます。少し遠く離れたところからでも、解説を聞くことができたのでとても便利でした。
ツアーとアウシュビッツ収容所の構造
それではわずかではありますが、アウシュビッツ収容所・ビルケナウ収容所の中を紹介したいと思います。
アウシュヴィッツ収容所と一口に括られがちですが、実際は大きく分けてアウシュビッツ収容所とビルケナウ収容所の2つから成り立っています。
ツアーはアウシュビッツ収容所の屋内展示を見学した後、ビルケナウ収容所の屋外展示へと向かう構成になっています。
たくさんの方がブログや、旅行記などでアウシュビッツ収容所の内部を紹介して下さっているので、ここでは私の興味があった展示を抜粋してお届けします。
まずはツアーの始まりの場所となる、アウシュビッツ収容所の入り口から。
アウシュビッツ収容所の入り口には arbeit macht frei (働けば自由になれる)の文字が掲げられています。
しかし、現実には多くの人々が過酷な労働をここで強いられ、そのために命を落としていきました。
室内の展示は当時の写真やパネルがたくさん置いてありました。
下の写真は貨物列車から降ろされて、選別される人々の姿です。
女性や子供などもこの収容所では移送されて行きました。また、実際には移送中に貨物列車の中で亡くなる人々も多数いました。非常に過酷な環境下に人々が置かれていたことが分かります。
次の写真は収容所に入れられた人々(囚人)のランクです。
大きく分類しただけでも下記の通り、多くのルーツ・罪状・理由から人々が集められていたことがわかります。
(ソビエト兵、政治犯、ロマ(ジプシー)の人々、犯罪者、同性愛者、1944年前半に収容されたユダヤ人、1944年後半に収容されたユダヤ人)
アウシュビッツ収容所ではユダヤ人だけにフォーカスされがちですが、ナチスの思想に反すると判断された人々は、ユダヤ人でなくとも収容されていきました。
そしてこれらの分類のマークが囚人服につけられ、一目で収容された理由を判別できる様になっていました。これによって囚人同士の差別や、いじめ、暴力なども収容所内で頻発していました。
こちらは展示室と展示室をつなぐ廊下一面に、飾られた写真です。
左側にずらっと並ぶのは、この収容所で犠牲になった人々、一人一人の写真です。
顔写真の下には、どうしてここに収容されることになったのか、どこから来たのかなど、分かる限りの詳細が書かれています。
パネル一枚で表現できるはずのない、一人の人間としての人生がここに並んでいる。
「多くの人々がここで亡くなった」その一言だけでは表せない歴史に思わず圧倒されました。
アウシュビッツ収容所の中の見学が終わると、今度はビルケナウ収容所の方へ。
こちらは屋外の展示がほとんどでした。
ここでは入り口、貨物列車の車両、爆破されたガス室、当時収容所に収容されていた人々の宿舎などを見学しました。
これは入り口と、人々を載せてアウシュヴィッツ収容所に搬入された貨物列車の実物の写真です。
この入り口から列車は入ってきて、先ほど紹介した様に多くの人々が貨物列車の横で選別されました。
こちらは証拠隠滅のために爆破されたとされる、ガス室の残骸です。
選別の中で、怪我や病気、年齢のため働けないあるいは役に立たないとされた人々はガス室に連れて行かれました。そして、チクロンBという毒ガスによって多くの人々が殺害されました。
次は収容されていた人々の宿舎と、そのそばにある有刺鉄線の写真です。
収容所は男女別で構成されており、ほとんどの人々は家族とも引き離された状態でした。
過酷な労働と孤独の中で、絶望に陥り自ら有刺鉄線に身を投げる人もいたとの説明もありました。
見学が終わると元来たバス停で、クラクフ行きのバスを待ちました。
2時間程かけてクラクフ中央駅に戻り、そこからはトラムを使い滞在を予定していたホテルへ向かいます。
今回宿泊したホテルは下記のホテルです。
老年の品の良いおばあさまがほとんど一人で運営されていました。すごく丁寧に対応してくださり、お部屋もこじんまりとした、可愛い作りになっていました。クラクフにお泊まりになる際は、是非訪れてみてください!

2日目(ポーランドからチェコへ)

この日はホテルで朝食を食べたあと、11時20分のバスに乗るためにトラムでクラクフ中央駅へ。
朝ののんびりした雰囲気で、トラムに揺られて駅まで行くのはどこか日本にはない時間の流れ方がありました。
(こんないい雰囲気の時に限って、写真を撮ってなかったりするんです泣)
その後、クラクフ中央駅に到着しチェコに向かうバスに乗りました。
ポーランドでの旅行はここでおしまいです。

宿泊場所の情報

今回宿泊したのは、Aparthotel Maargick(アパートホテルマーギック)
下記のアドレスが住所です!
Ul.Ignacego Krasickiego 8, Podgórze, 30-503 Krakow, Poland
名前の通り外観は完全な宿泊施設というよりも、アパートメントの様な装いです。
住宅地の中に建っているので、ホテルと分かるまでには少し時間がかかりました笑
しかし、先ほどもお伝えした様に、こじんまりとしていて非常に居心地の良いホテルでした。
またオーナーさんも老年の品の良いおばあさまで、アットホームな雰囲気でした!
街中にあるので、交通の便も良いです。クラクフに行く時は是非泊まってみてください!

旅行でかかった経費

今回はクラクフへ向かうバス、クラクフからオフィシエンチムまでのバス、クラクフでの滞在費、ブダペスト内の移動費、アウシュビッツへのツアー料金をまとめました。
一人当たりの金額
バス代(ブダペスト→クラクフ):915円(!!)
バス代(クラクフとオフィシエンチム・アウシュビッツの往復):900円前後
宿泊代(1泊分):3497円
アウシュビッツのツアー代(英語でのツアー):1500円程度
トラムの料金:300円前後(2回の乗車分)
合計:7112円ほど
…。え!一万円、いかなかったとは…。
バルト三国のリガの滞在費も一万円を切りましたが、行動した範囲を考えるとポーランドの物価はそれよりも安いと考えられます笑(バスやトラムにも乗りましたし、ツアーにも参加しました!)
我ながら情報を整理してみて、発覚したのでものすごく驚きました!

まとめ、おすすめポイント

今回はポーランド、オフィシエンチム(アウシュビッツ)への旅でした。
人類の暗い歴史を垣間見た旅でしたが、いかがだったでしょうか。
大学時代の論文をホロコースト関係で書いた私自身にとっては、とても大きな経験となった旅です。
みなさんも是非ポーランドに行く際は、足を運んでみてください!
次回はいよいよ東欧最後の国、チェコ(プラハ)です!
歴史的な街並みが広がるチェコの旅は、ひたすら歩いて歩いて…歩きまくりました笑
次回の旅もお楽しみに!!

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